地域社会とともに発展してきた事業
創業は1899年。酒田を中心に庄内地域にとともに発展してきた加藤総業。なぜ地域に根付いた事業展開を120年という長い間続けてくることができたのか。そしてその長い歴史を持つ会社が見据える未来とは。まずは代表取締役社長の加藤聡に創業から現在までの事業展開や未来の展望などを聞いた。
「正式に文書などが残っているわけではありませんが、創業は明治32年、1899年となっています。父や祖父の話を聞くと、当時はいまでいうホームセンターのようなものをしていたみたいですね。釘などの鉄製品を売ったり、鍋などの日用品を含めた商品を売っていたそうです」
創業からいまも変わらぬものはと聞くと、「誠心誠意という言葉ですね」と加藤は言う。言葉にしてしまえば簡単なものに聞こえてしまうが、その着実な一歩一歩、誠実な仕事が庄内地域に根付き地域と共にある会社を築き上げてきた。
そこから本格的に建築、建設資材の販売を手がけるようになり、昭和46年(1971年)に社名を現在の加藤総業株式会社とし現在の体制をとるようになった。長く信頼を得てきた建設業への資材供給の仕事のほか、現在では風力発電をはじめとした再生可能エネルギー事業も手がけている。建設業と風力発電。一見、かけ離れているようにも思えるが加藤はそれも地続きの事業と捉えている。
「世の中の成長が緩やかになったいま、建設業もただ単純に大きくなっていくことはない。だから成長を前提とした拡大路線はもう古いわけです。数や規模を大きくしていくことがではなく、やはりこれまでと同様、誠実に地道にお客様に対応をしていくというのが会社としての姿勢でした。風力発電に関してもそうなんです。現在の仕事を地道に広げていった先に“そこにあった”という感じです。新しい事業を探していて“そうだ、風力発電事業をやろう”と始めた事業ではなくて、資材供給などの事業をしていくなかで自然と出てきたプロジェクトなんです。これまでの仕事で培ってきた人とのつながりのなかで話が出てきた。地域と環境に貢献できる事業でもあるのでそれならば単純に資材供給だけでなく、電気事業者としても参加したいと思い始めた事業です」
再生可能エネルギー事業は現在、その規模もさらに大きくなり複数の発電所を抱えている。
自らの意思が尊重される職場
120年という歴史のなかで培ってきた地域とのつながり。それはつねに誠実な仕事を続けることで育まれたものだ。着実な一歩一歩。しかしそれは常に同じことを続けるということではなく、風力発電に代表されるように、つながりのなかで変わっていくことも許容する。ここからは現場で働く3人に話を聞いた。
-加藤総業は建築資材供給を主軸に風力発電などさまざまな事業を手がけていますが、みなさんの現在のお仕事は?
進藤:私は鋼材を扱う営業の仕事をしています。入社からは6年目。営業に異動になったは1年半程前のことです。それまでは配送の部署にいました。営業という仕事なのでもちろん売上がひとつ大きなやりがい、達成感ではあるのですが、それとともにお客様に感謝されたときというのは大きな喜びですね。ただ単純にモノを売ってくるということだけはしたくない。一件、一件、じっくり話を聞いて、お客様の要望にできるだけ応える。難しいこともありますが、それをやり遂げたときは仕事をしていてよかったと感じます。
梅津:私は新エネルギー事業本部で風力発電の部署におり、現在は発電施設の新規開拓の分野を主に担当しています。ただし、現在運用している発電所の仕事も同時にこなしています。
釼持:私も風力発電の部署で、仕事としては風力発電の運営管理をしています。梅津よりもより現場での仕事ということになるでしょうか。2018年5月に入社したのですが、それまでは食品関係の営業の仕事をしていました。いまの仕事とはまるで関係がないのですが、出身が工業高校でそれをいかせればと思い入社しました。いまはさらに仕事の幅を広げるために電気主任技術者の資格取得を目指しています。
-釼持さんはまったく新しい分野への挑戦でもあったわけですね。ほかのおふたりは新しいチャレンジをしたいといった声が会社に届くという感覚はありますか?
進藤:やりたいと言ったことを否定はまったくしない会社だと思います。もちろん専門性を高めたいとひとつのことに集中する人もいるし、新しくこういうことをやりたいと言う声もきちんと聞いてくれます。
梅津:まさに私がそうですね。私はUターンで神奈川県から戻ってきたのですが、最初この会社に入ったときは事務職として入社しました。その後、総合職へ希望を出していまの仕事をやらせてもらっています。事務をやっていると、社内のさまざまな部署の仕事をするわけですよね。単純に数字だけわかっていればいいというのでは気がすまないんですね、私(笑)
自分から能動的に関わっていきたいという気質があるんです。やるなら一から十まで知っていたいタイプ。前職はメガネ屋だったんですけど、その時も例えばレンズの生まれる工程からすべて知っていたかった。そうしないと、お客様のご質問にきちんと答えられない。そもそも自分で納得ができない。そういう気質なんです。だから、風力発電も一からやってみたいと思うようになって希望を出しました。
-部署異動もそうですが、Uターンもある種大きな決断だったかと思いますが、みなさんはそういった決断をするときに大事にしていることはありますか?
梅津:Uターンに際してもっとも不安があったのは「仕事があるんだろうか」ということでした。私はジャンルは何でもいいと思っているんです。入ってから努力でどうにでもなる。そうして探すといろいろな仕事がありました。前職はメガネ関係、現在は風力発電。全く関係ない。わからないこともまだまだたくさんあるし、実際忙しい。でも充実しているという感覚はあります。どうにでもなるかなと(笑)
進藤:何か決断しなくてはいけないことがあるときは、おもしろそうな方を選んできました。嫌なことがあっても寝て起きれば忘れるたちなので。失敗を恐るよりは、こっちのほうがおもしろそうだなという方を常に選んできた気がします。
梅津:うらやましい。
釼持:わたしはかっこいいなと思う方を選んでいたましたね。でも振り返ってみると、その価値観というのは年齢とともに変わっていくんですよね。若い時はとがっているというか、そういうのがかっこいいと思っていた。でもいまは子どももいるので、例えば子どもが社会人になったときにかっこいいと思ってもらえるような人間になりたいと思っています。
120年という長い歴史を持つ会社。地域とともに成長し、「誠心誠意」その言葉を体現する誠実な仕事で地域をつながってきた。そして現在は地域の特性を活かした風力発電事業も行う。地域の未来を担うのはその着実な一歩なのだ。会社のこれからを語る際に、加藤社長は松尾芭蕉の「不易流行」という言葉を挙げてくれた。変わらぬもの「不易」。そのときどきの「流行」。着実な一歩と最新の事業。まさにその言葉を体現している会社だ。