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サイエンスはエンタテインメント。“知る”楽しさが見つかるクラゲの水族館

加茂水族館 / 鶴岡市立加茂水族館/獣医

インタビュー記事

更新日 : 2021年07月15日

クラゲの水族館として全国的に有名な加茂水族館。ミズクラゲ約2000匹を展示する幻想的な大水槽クラゲドリームシアターには誰もが足を止め見惚れてしまう。また、展示の素晴らしさもさることながら、2005年にはクラゲ展示種類数世界一となったほか、2024年にはリニューアルも予定されておりさらに注目を集めている。今回はその加茂水族館の飼育係である菅野響樹に話を聞いた。

加茂水族館 事業概要

1930年(昭和5年)に山形県水族館として開館。90年の歴史の中で経営母体の交替や営業休止、名称変更などを経てきたが、2002年に財団法人鶴岡市開発公社が管理業務を行うことになり「鶴岡市立加茂水族館」へと改称し現在に至る。 来館者数の減少が続いていた1997年に偶然、水槽の中に見つけたクラゲを展示として見せることにしたところ、評判がよく、以後はクラゲをメインにした水族館へとシフトした。大々的な広告などはしなかったが数々のイベントを開催しその認知度は高まっていった。水族館、飼育員の努力もあり2000年には展示種数が12種で日本一、2005年には30種で世界一となった。そうして徐々に来館者数も増え、年間来館者数が70万人を超えるまでに至った。 加茂水族館ではクラゲの魅力的な展示方法に加えて、水槽の設計も含めたクラゲ飼育に関する高度なノウハウも持ち、加茂水族館の開発した水槽がパリやウィーンなどでも使用されるなど海洋研究という側面からも大きな注目を集めている。

加茂水族館がクラゲの水族館になるまで

クラゲの水族館としていまや全国的に有名となった鶴岡市立加茂水族館。県内からの来館はもちろん、県外、海外からも多くの観光客が訪れる。現在では庄内観光の目玉のひとつともいえるほど人気の水族館だが、実はその歴史は古く、しかも閉館寸前までいくなど苦難の歴史もあった。

開館はいまから90年前の1930年。湯野浜温泉への鉄道開通を機に、同温泉の組合が加茂港後背地に山形県水族館として開館したのが始まり。その後、第二次世界大戦中は休館し学校などの施設として使用され、1956年に鶴岡市立加茂水族館として復活した。このあとは順調に来館者数も増え安定した営業を行っていたが、経営母体が変わっていき経営方針が変わっていく中で人気が衰え、ピーク時には20万人を超えていた来館者数も1997年には10万人を切るというところまで落ちてしまっていた。

そのまさに1997年に転機となったのがクラゲだった。サンゴの水槽のなかに偶然発生したクラゲを発見し、これをすぐに展示に結びつけた。これが好評を呼んだのだった。ただし直接来館者数の増加にはつながらなかったという。当時飼育員として働いていた現館長の奥泉和也はこう話す。

「クラゲの展示は好評でしたが、すぐにお客さんが増えたわけじゃなかったんです。ただ好評だったこともありクラゲをメインでやろうということになりました。クラゲの展示水族館としては超がつくほど後発組でした。そのとき当時の館長が『おもしろいことをやっていても、知ってもらわなかったらやっていないも同じ』って言ったんです。大々的な広告を打つほどの余裕はなかったので、さまざまなイベントを企画しました」

そのなかのひとつが「クラゲを食べる会」というもの。これがメディアに取り上げられ一気に知名度もあがった。フランスからも国営テレビが取材に来たほどだったそうだ。ここから来館者数は増加に転じ始めた。そして2002年に市が館を買い戻し、現在の「鶴岡市立加茂水族館」という体制を取った。

クラゲ展示種類数世界一へ

その後も、水族館に泊まれるイベントや、結婚式会場に使えるようにするなど、さまざまなイベントを企画するほか、展示の手法を改善していくことによって来館者数は順調に伸びていった。また、下村脩がオワンクラゲから緑色蛍光タンパク質 GFPを取り出すことに成功し、2008年にノーベル化学賞を受賞したことも知名度アップに寄与した。加茂水族館ではオワンクラゲを多く飼育していたので「光るクラゲ」を一目みようと来館者が増加したのだ。ただ加茂水族館のオワンクラゲのうち、自然界から採取した成体は発光するが、人工繁殖で世代交代させると発光しなくなっていた。それを聞いた下村は館長に直接アドバイスをし、それを聞いた加茂水族館では発光実験に取り組んだ。下村との交流はそこからも続き、2010年には一日館長も務めた。

そうして来館者数は年間70万人を超えるまでに至った。レジャー施設としての経営の成功の裏には当然、飼育員をはじめとしたスタッフの努力があった。魅力的なイベントや展示だけでなく、海洋研究という側面からも加茂水族館は注目を集めているのだ。例えばクラゲ展示種数は2000年に日本一、2005年には世界一となったほか、独自に開発したクラゲ水槽(加茂式水槽と呼ばれる)は国際的にも認められパリやウィーンでも使用されている 。ほかにも飼育のノウハウや素材提供などさまざまな場面で研究機関や水族館へ協力をしている。

そのクラゲ水族館に幼少のころに訪れて魅了されたのが、今回話を聞いた飼育員の菅野響樹だった。

みんなで展示を作っていく

菅野は福島県のいわき市出身。幼少のころから釣りが好きで水生生物に親しんでいた。そんなあるとき父がタコクラゲを持って帰ってきてくれたそうだ。

「クラゲだってびっくりして、家で飼おうって思ったんです。だけどすぐに死んじゃったんですね。それで逆にクラゲをちゃんと育てたいって思ったんです」

そこからクラゲに興味を持ち加茂水族館にも訪れた。そのとき館長の奥泉とも話をしたそうだ。そのクラゲ好きはずっと続き、高校卒業後には東京海洋大学に入学。クラゲの研究室に入った。研究を続けるうちにその生態の不思議さにもますます興味を持った。学部生の時期が終了に近づき就職を考えたときはやはり水族館の飼育員という職業を選んだ。

「それである水族館にインターンとして入りました。でもそこは考えていたようなところではなかったんですね。飼育員は飼育をするだけ。先輩方に話を聞くと大きい水族館であればあるほどその傾向は強いと言うんです。しかも賃金は低いとも聞かされて……」

それで一度水族館から離れ、水産業関連、大学院への進学を視野に入れ将来を考えた。そこで選んだのが大学院で研究を続けることだったのだが、大学卒業が近づくとやはり水族館で仕事をしたいという思いだった。そこで見つけたのが加茂水族館の求人だった。

「大学4年の3月という時期に就職したので、なんというか、ギリギリというか」と菅野は笑っていた。
「そうして就職したんですが、まずびっくりしたのはクラゲの数でした。種類も個体数もびっくりするほど多くて。もうひとつ入ってうれしかったのは“みんなで展示を作っていく”という文化でした」
 入社してすぐに菅野はひとつの展示を創ることになったのだという。

サイエンスはエンタテインメント

それは“ポリプ”というクラゲの生態の展示だった。

「クラゲは海に浮いてるだけじゃないんですね。岩に張り付いているポリプという生態もあるんです。その展示がもともとあったんですけど、ちょっとわかりづらいところがあって。ただ入社すぐの自分が先輩の展示に口を出すのはちょっと……と思っていたのですが、館長に『やればいいじゃん』と言われてやらせてもらうことになったんです」

その展示は現在でも続いており「さらにわかりやすく展示方法を考えていきたい」と話してくれた。一方で「わかりやすさばかりを追求すると、事実とかけ離れていく場合もある」とも言う。館長の奥泉も「水族館というエンタテインメント空間ですが、サイエンスが根底にあるという考えがあるのでバランスをとりながら展示方法を考えていきたい。そもそもサイエンスは楽しいものなんですよ」と言っていた。たしかにわからなかったものがわかるようになる。知らなかったことを知る。クラゲってこんなにきれいなんだ、クラゲってこんなに不思議なんだというのは、すでにして大きなエンタテインメントだ。大げさな演出はなくても楽しさは演出できるのかもしれない。

そういった部分も含めて最後に菅野に今後の目標を聞いた。

「例えば都内のほかの人気水族館と比べるとうちは地理的にディスアドバンテージがある。そのなかでお客様が来てくれないとうちは存続できないし、いまのように展示を自由にすることもできないかもしれません。クラゲの展示は全国的にも流行しています。だからこそクラゲでは一番でいつづけなくちゃいけないと思うんです。規模や資金力ではかなわないので、例えばより大きな水槽を作るといったことは考えず、ほかでやっていないような見せ方をするといった方法で独自性を出していけたらと思っています」

サイエンスはエンタテインメントになりうる。加茂水族館の経営が立ち直り全国的に人気となったことを考えればそれは証明されている。ちなみに加茂水族館で展示されている魚はすべて地元の魚だという。しかもそれが好評だそうだ。それはつまり「この地域にはこんな魚がいるんだ」という発見、もしくは再発見がひとつのエンタテインメント体験となったということ。2024年にリニューアルを予定している加茂水族館。今後もそんな体験ができる場所が生まれていくのだろう。