会社として伝統のなかに入っていくということ
寺社仏閣の鬼飾り。想像すれば当然のことだが、そこには脈々と受け継がれてきた歴史と伝統がある。アメルメ工芸社は1948年建築板金から始まり工場板金へ業態を変え、その後寺社仏閣への装飾品作りを始めた。この業界では新規参入した会社といえる。伝統の業界へ新規参入することの一番の難しさは「実績のなさ」だったと代表取締役社長の齋藤春樹は話す。
「個人またはお弟子さんとふたりという規模で職人として働いている人は別として、会社として寺社仏閣の装飾品作りをしているところは、弊社を含めて全国で5社ほどしかありません。そのほとんどが古くからこの業界で活躍しているいわば老舗です。そのなかに新参者として入っていくのは容易ではありませんでした。まず実績がない。ほかの会社は歴史もあるので担当した建築物も多い。うちはそれがない。大変でした」
そのなかで仕事を受けるために磨いたのは、コミュニケーションと技術だった。歴史のある分野なので“これはこういうものだ”という固定概念で語る会社も少なくない。そのなかで形式や格式だけにこだわらず、お客様の要望にできる限り答えていくという姿勢が評価された。
もうひとつは技術。板金加工業で磨いた加工技術は確かなものだったうえに、アマルメ工芸社は新たな技術をいち早く取り入れている。例えばチタン。「素材としては最高」と齋藤がいうように、その軽さに注目が集まっている素材だ。伝統的な和瓦の屋根と比べて圧倒的に軽く災害など不測の事態で屋根から落ちてきても危険性が少ない。また軽量なので建物自体の耐震性が増し、経年変化もないので万が一の際も事故になりにくい。2011年の震災以降その安全性に注目が集まっているが実はチタンの加工技術を持つ会社は多くない。屋根全体を覆う和瓦は機械加工で作ることはできたが、屋根の棟部分につく鬼瓦は形状が複雑なため製作が困難だった。それを手加工で製作可能にしたのだ。そういったことを重ねて、伝統の業界への新規参入に成功したのだ。
個人として伝統のなかに入っていくということ
営業部の渡邉智和と鈴木健太のふたりは「鬼飾りと言われてピンとくる人ってそんなに多くはないですよね。実はわたしたちもまったく知らなかったんです」と笑う。
主任の渡邉は庄内出身で、学校を卒業した後に庄内で製造関係の仕事に就いた。その後、建築の現場に出るようになり単身赴任という形で新潟で暮らしていた。その当時は現場を駆けずり回り一ヶ月間家に帰れないなど忙しい毎日で身体も悲鳴をあげていた。そのなかで家族との時間がほしいと思うようになりUターンを決意したという。
「庄内に帰ってこようと思って仕事を探しているなかでアマルメ工芸社を見つけました。でも鬼飾りや家紋についてはまったくの無知でした。だから営業といっても最初はなかなか信頼してもらえない部分もありましたが、いまは知識もついてきてコミュニケーションがとれるようになってきたのが純粋にうれしいですね。しかも寺社仏閣の仕事、伝統のある仕事をしているという充足感はすごく大きい。いまの仕事はすごく楽しいですよ」
「鬼飾りという響きがそもそもかっこいいじゃないですか。それから職人が手作業で作るという姿もかっこよかった」と話すのは鈴木健太。現在の職種は営業だが、入社当初は加工製造を担当していた。
「関係あるかわかりませんが、わたしTBSテレビの『SASUKE』に参加してるんです。アスレチックをクリアしていくTV番組ですけど、出場した時の肩書きが当時はまだ加工にいたときだったんで“鬼飾り職人”だったんです。まだ何もわからないときでしたけど。でも営業になって、そのTVを見てくださっていた人がけっこういてこういう形で広がっていくこともあるんだと感じました。とくに子どもたちが“鬼のお兄ちゃん”なんて呼んでくれて、いまは鬼飾りを作る職人が庄内にもいるんだということもアピールできればうれしいと思っています。もちろん目標は全ステージクリアですけど(笑)」
伝統を新しい形にクリエイトするということ
インタビューの中でふと出てきた「SASUKE」というTV番組の話だが、実は鈴木がアマルメ工芸社での仕事が楽しいと感じたことにも大きく関係しているという。
鈴木:「SASUKE」に出るというと、けっこうバカにされるというか笑われるみたいなこともあったんです。でもアマルメ工芸社では逆に応援すると言ってくれて、それはやっぱりうれしかったですね。
齋藤:応援しますよ、もちろん。撮影現場にも行きました(笑)。でもそこで鈴木のことを見ていて、コミュニケーション能力がすごく高いということを発見したんです。ゴールデンボンバーの樽美酒さん達など、出演者の人たちともいつのまにか仲良くなってるし(笑)。それで営業向きかなと考えるようになりました。もともと人を喜ばせることの得意な人間でもあったし。
その後生まれた新商品がある。板金の技術を使って家紋を作り、それを結婚式で花婿、花嫁の両親にプレゼントするというものだ。“人を喜ばせることが得意”という鈴木から出てきたアイディアだ。これが好評を呼び、さらなる展開も考えているという。そのほか、受け継いできた伝統技術を新たな形でアウトプットしている。インテリアとして活用するのはどうかと試作した。ほかにも商社と組んで、和風建築へ装飾品を海外へ輸出した。これも好評を呼んで、今後も海外展開を視野に入れている。寺社仏閣の装飾品を製作するという伝統。それを受け継ぎ、新たな形で再創造する。伝統というのは形を変えて受け継がれていくものなのかもしれない。
インタビューの最後に再度「SASUKE」の話が出てきたところで、就業環境の話も出た。
齋藤:「SASUKE」の話だけではないですが、プライベートは充実したものにしてもらいたいと思って環境づくりもしています。
渡邉:それは家族との時間を多く取りたいという思いもあって庄内に戻ってきたわたしとしてはすごくありがたいですね。休みを希望通りにとれる。やはり帰ってきてよかったと思っています。
鈴木:わたしもそうですね。「SASUKE」も“情熱を持ってやってくれ”とまで言ってくれて応援してくれるし(笑)
齋藤:同窓会である人が「有給取るのに苦労しちゃって」と言っていたんですが、それを聞いて何か違うんじゃないかなと思ったんです。プライベートが充実するように就業環境は整えたいですね。
渡邉:「SASUKE」かぁ。わたしも身体を動かそうかな。30キロも体重が増えたから(笑)