-おふたりはプロセスエンジニアとして活躍されていますが、ご専門といったものはあるのでしょうか。
坂本:私は、シリコンウェーハの上に金属膜を形成して配線を作りこんでいくメタル工程を担当しています。
阿部:私は、リソグラフィー工程といって、シリコンウェーハの上にレジストとよばれる感光材を薄く塗布して紫外線を照射し、回路パターンを形成していく工程を担当しています。
-プロセスエンジニアという職種だと他の部署から仕事を頼まれることが多いのでしょうか。
阿部:はい。新しい製品を新しい手法で作りたいから、その生産手法について評価してくれという案件や、ある現象をトラブルも含めて検証してくれという案件が多いですね。デバイスエンジニアと設備・製造エンジニア、双方からのリクエストに対応する仕事になりますね。
坂本:ただし、他部署から依頼される仕事だけを受動的にやっているわけではなく改善の提案など能動的にやる部分もすごく多いですね。
阿部:そうですね。“仕事の仕方”も主体的だと思います。
-仕事の仕方、というと?
阿部:常に、楽しさを見つけながら仕事をしていることが多いです。だから、初めてやることは、ウェルカムですね(笑)
坂本:新しい発見は、大きなモチベーションのひとつです。会社では、さまざまな役割をもった人たちが、それぞれの意図をもって仕事をしていますが、私も自分の果たすべき役割・使命に照らし、明確な目的を持って仕事をするようにしています。そうして導き出した結果は、みんなで共有する。最初に仕事を教えてくれた先輩が「仕事はみんなでやるもんだ。だから結果は共有しなさい」ということを徹底しています。目的を明確にすることで、相手の意図を想像して、自分との意図と合わせるので想定外の実験結果が出ても“新しい発見”としてワクワクして受け取ることができるんです。
阿部:坂本さんは、いろいろと突っ込んでいくタイプですもんね(笑)
坂本:そうかも(笑)。新しい刺激に触れることが、すごく楽しいです。チャンスがあれば、海外でも色んな経験をしてみたいし。
阿部:新しい刺激を求めて?
坂本:そう。そういうのが好きなんですね、きっと。
阿部:私は、新しいこと、そのときやりたいことをやっていくという性格なので、今後もいろいろなことを探していると思います。
坂本:山形TECでは、みんなが積極的に意見を出しあって、自由闊達な雰囲気のなかで活き活きと仕事ができる環境だと思います。
阿部:そうですね。同業他社の人の話を聞くと、それがよくわかる。社会人6年目の28歳ですが、同年代で自分発信の仕事ができるという話はあまり多く聞かないですね。だから、現在の環境はすごくありがたいと思います。
-半導体のプロセスエンジニアというと、エンドユーザーに届く商品の内部に組み込まれるモノを作っているので、どこにカタルシスがあるかを聞こうと思ったんですが、もう答えは出ていますね(笑)
坂本:そうですね(笑)。ただし、スマートフォンなど最終商品としてできあがったものを見ると、やっぱり嬉しいですよ。私たちが作っている「CMOSイメージセンサー」はお陰さまで世界トップシェアを頂いていますので、それが搭載された商品を使ってくださっている世界中のお客さまとつながっているという感覚はありますね。加えてエンジニアとしては最先端の技術に携わり探究心が満たされますし、技術的なハードルを超えた瞬間はすごくうれしいですよ。実際、そういうことを求められる仕事でもあるので充実感もありますね。
阿部:大学で工学を専攻した理由のひとつが“モノづくり”なんです。モノのなかに入っているもの、動かしているものは工学だと思って、大学では光工学を専攻しました。卒業後は、半導体やパネルディスプレイの製造装置などを扱っているメーカーに入社し、そこから今の会社(山形TEC)に転職して、技術の開発にも積極的に携わるようになったので、自分では“デバイスを作りたい”という当初の想いに近づいている気もしています。
-坂本さんは大学時代どんなことを?
坂本:半導体関係の勉強を。材料系の勉強をしていました。阿部と同じような言い方をするなら、モノそのものに興味があったのかもしれません。それで大学院で半導体を学びプロセスエンジニアとして働くようになりました。
-山形へはいつ?
坂本:2009年です。出身地は岐阜で、名古屋の大学院を卒業してから神奈川県にある半導体の会社に就職し、それから山形県に来ました。
阿部:私はもともと山形出身なので戻ってきたという感じです。やっぱり山形は食べ物がうまい(笑)
坂本:たしかにそうだよね。
世界トップシェアを誇るソニーの「CMOSイメージセンサー」と、熱い思いをもってその技術の進化を支える山形TECの社員たち。あらゆるものがネットにつながる時代を迎え、センサーが果たすべき役割と重要性は増す一方にある。技術革新を続けるその最先端には“新しい発見”を求める“ヒトの力”があった。その想いの先に、私たちの未来と新しい社会における人々のよりよい暮らしがあるのかもしれない。