庄内地域のハブになる
致道博物館の歴史は、いまから70年前の1950年(昭和25年)、旧庄内藩主酒井家の第16代酒井忠良が建物と土地、伝来の文化財を寄附し、財団法人以文会を設立したことにはじまる。設立の目的は地域文化の向上、発展のため。鶴岡、庄内地域の文化や歴史を紹介し、地域住民が普段の生活のなかで訪れる、いわゆる“地域博物館”としての位置づけとしても重要な役割を果たしてきた。ただし、館長の酒井忠久は「地域の文化資料の保存という役割に加えて、私たちは“庄内地域の応接室”でありたいと思っています」と話す。
「致道博物館にくれば、この地域の歴史も文化もわかる。それは設立当初からいまも変わらずに目的の第一義です。いまはそれに加えて現在庄内のどこにどんなものがあるのか、連綿と続いてきた文化がどのように生きているか、そういったことを紹介することを含めてハブのような役割になれればと考えています。歴史と現在、そして未来を総合して、地域の個性化を進めていくことが博物館には求められているのではないかと思います」
地域文化に貢献するという言葉を酒井館長はたびたび口にした。具体的にどういったものを指した言葉なのか聞いてみると、一番に挙がってきた答えが上記の“庄内地域の応接室”というものだった。その言葉を現場で働く職員たちはどう受け止めているのか聞いてみた。
地元密着という意味
主任学芸員を務める菅原義勝は大学、大学院で歴史の研究をしたのち致道博物館に就職した。「東京の大学院で研究をしていて、何というか東京の人の多さに辟易していて、もう少し人がごちゃごちゃしていないところで研究を進めたいなと思って帰ってくることにしました」と笑って話す。
菅原は大学院時代に庄内を中心にした地元の戦国時代を研究していた。歴史系の展示を担当するなかで、2019年には「戦国の庄内―大宝寺・上杉・最上 争乱の果て―」という展示を行い、初めて自身の研究を活かす仕事につなげることができた。そのときの来館者の反応、特に地元の人の反応で最も多く、最も印象に残っているものが「庄内にこんな歴史があったの!?」というものだったそうだ。
「地元の人でもまだまだ再発見は多いと思います。自分たちの歴史に、“こんなものがあったのか”という発見は大きなエンタテインメントになりうる。そうして地元と歴史、文化をつなげていくのも私たちの役割だと考えています」
受付や事務を担当する石栗みづきも「地元の人もよく来てくださる」と致道博物館の地域博物館としての価値を話す。「私は受付や事務手続きといった仕事上、来館者の方と話をすることがすごく多いのですが、その感触としては地元の方も関心を寄せてくださるという感じがしています。しかも菅原の言うように“こんなのあったんだ”というお話しをしてくれる方もたくさんいますね。例えば3月なら鶴岡雛物語という展示があって、酒井家や旧家に受け継がれてきた雛人形を紹介しているんですが、ここでもやはり“知らなかった”とおっしゃってくださる地元の方がたくさんいらっしゃいました」
外とのつながりを見つける
地元の人でも知らなかった歴史、文化を紹介し未来へつないでいく。地元密着という意味のひとつの形だ。菅原は「致道博物館は長い歴史を持つ博物館なので、皆さんが“知らなかった”という内容を提示するのは難しい部分もあります。ただひとつの方向性としては、地元に根付いた歴史や文化を再発見し続けようとすることが大事だと考えています。当然、庄内藩主酒井家を中心とする武家文化に関する資料は、博物館のコアとなるものですし、地域にとっても誇るべき資料群だと思っています。その上で、地元の皆さんとその認識を共有するためにも、民衆の歴史、地域に普遍的に存在する歴史と文化を改めて考えていきたいと思っています」とこれからのことを話してくれた。
石栗は「地元の方の来館が多いという話をしましたが、それ以外の方にもたくさん庄内の歴史を知ってもらいたいと思っています」という。そのひとつの例として挙げてくれたのが人気PCブラウザ&スマホアプリゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」とのコラボ企画だ。「刀剣乱舞」は日本刀の名刀を擬人化し、歴史上の合戦で敵と戦うという育成シミュレーションゲーム。致道博物館が所蔵する重要文化財「短刀 銘 吉光(名物 信濃 藤四郎)」を展示し、旧庄内藩主酒井家に伝来する文化財や武家文化を紹介する企画展の開催に合わせてその人気ゲームとコラボしイベントを行った。若い女性にも人気のゲームで「そのときは朝からいつもと違う光景でしたね」と菅原は初めて展示を行ったときのことを思い出す。この企画展示は現在も定期的に開催され、その都度多くのファンが駆けつけてくれるという。
「たしかに刀剣乱舞とのコラボは内と外をつなぐひとつの好例だと思います。地元以外の方や若い方などにも来ていただけるきっかけになるような企画展示も行えれば、庄内と外をつなぐハブになれるのではないかと。それもひとつ大きな目標としてはあります」と菅原は自身が考える“庄内地域のハブ”のことを話してくれた。
インタビューの間、終始楽しげに話をしてくれたふたりに最後に博物館の職員という職業のやりがいを聞いてみた。菅原は「こう言っては今日の流れが台無しになりますが……」と苦笑いしながら次のように答えてくれた。
「もちろん、来館者の方に様々な感想をもらって、満足してもらえる展示ができたと思える瞬間もひとつの大きなやりがいです。あともうひとつ自身にとって大きなやりがいが、古文書の整理など、自身の研究にもつながる仕事です。まだまだ致道博物館には整理しきれていない資料や文化財がたくさんあります。そういったものを整理していくと知らなかったこともたくさん発見できますし、本当に楽しい。自身の満足という意味ではこの仕事はすごく楽しいですね」
石栗は致道博物館の職員だからこそ展示の企画にも参加できるという。「大きな博物館であれば事務職と学芸員というのはやる仕事がはっきりと別れていて、事務職は事務をする、というのが普通だと思います。でも致道博物館では役職に隔たりはなく、私の立場でも企画にたくさん関わることができるんです。それがとても楽しいですね。普段から、こんなのどうかなと声もかけてくれるし、こんなの楽しそうですよねと話をすることもできる。この近さがうれしいです」と話してくれた。