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治療と予防の両面から人々の健康に貢献する医薬品メーカー

富士化学工業株式会社 / 薬剤師理系総合職(オープンポジション)

インタビュー記事

更新日 : 2023年01月27日

創業70年を超える歴史ある会社でありながら、常に新たな事業に挑戦し、成長を続けている富士化学工業。今回は、東京出身で薬剤師理系総合職ポジションとして富士化学工業に転職した女性社員1名に、入社理由や会社の雰囲気、富山暮らしの魅力を伺った。

 

小林(こばやし)

信頼性保証本部 品質管理部 第三品質管理課

入社1年目

富士化学工業株式会社 事業概要

 戦後の傷跡が生々しく残る1946年10月10日。西田正義、安正は、深刻化する食糧難を解消するため、パン用イースト菌製造を主体とする新会社を富山県上市町の地に設立。しかし、思うように業績は上がらず、経営は悪化の一途。しかし、人々のためになるものを提供したいという創業者の夢は尽きることなく、1951年に、大戦時に陸軍薬剤官を務めていた石野誠三を迎え、胃病を治すための制酸剤の研究に着手。こうした努力が実り、1954年に「ノイシリン」開発に成功。副作用のない理想的な制酸剤として高く評価され、全国から脚光を浴びることになった。1964年には有機医薬品に進出し、「塩酸ピペサネート」の工業化に着手。無機医薬品製造と有機医薬品製造の二本柱によって、日本の医薬界に確固たる地位を築き、1969年には郷柿沢地区に事業拡大のための工場用敷地(31,702坪)を確保した。

 1976年には独自の合成方法で国産化に成功した抗悪性腫瘍剤「ネベルクカプセル」を、当社初の製剤化商品として発売。西田安正社長(当時)は、「独創的な医薬品で尊い人命を救うための新薬開発の体制を組み立て、未来に明るい希望の灯をともす」と述べ、最先端の合成設備を次々と導入。以後数年の間に革新的な技術向上を果たし、国内外の有力医薬メーカーのパートナーとして評価される位置づけとなった。その後も、大型スプレードライヤーの導入により合理化を推進し、さらにオーファン薬分野に特化した研究開発を進めるなど、パイオニアとしての堅実かつ効果的な施策を実現。さらに1998年には、すでに導入していた制酸剤、賦形剤向けの水系のスプレードライヤーに加え、有機溶媒系スプレードライヤーを導入し、多種多様な機能性粒子の製造基盤を確立した。

 一方、疾病の治療だけで満足することなく代替医療にも注目。未病の段階から健康を守ることを念頭においたアスタキサンチンサプリメントの商品も開発した。

このように富士化学工業は常に現状に満足することなく、世の中が求めるものをいち早く察知し、困難な研究に挑戦して人々の健康のためになる有用な商品開発に日々取り組んでいる。

 

社員の働きやすさも魅力的だ。2022年には『とやま⼥性活躍企業』に認定。⼥性管理職を積極的に登用している。医薬品分析職の分野では、全管理職が女性で、リーダークラスも半分以上を女性が占めている。また、⼥性の執行役員もおり、⼥性活躍が進んでいる。同時に、男性の育休取得実績も増加。最大2週間取得可能な育児⽬的休暇は、有給となっている。トップがいかに社員の働きやすさに注⼒しているかが分かる。

 

2023年3⽉には、製剤工場の第三棟が完成予定だ。現状に満⾜せず、常に新たなチャレンジをし続ける社風のもと、さらなる躍進への第⼀歩を踏み出している。

困っていたら、すぐに助けてくれるやさしい職場

 

薬剤師資格を活かし、ドラッグストアで働いていた小林さん。直接1対1で患者さんに貢献するのではなく、もっと根幹から支える仕事がしたいと、製薬会社への転職を考えた。転職活動の条件は、「薬剤師の資格を活かしたオープンポジションで、今後さまざまなキャリアの選択ができること」「車がなくても暮らせること」。前職も全国転勤だったため、住む場所にこだわりはなかったという。エージェントを用いた転職活動を行い、そこで数件目に紹介されたのが、富士化学工業だった。

「富士化学工業は面接の段階で全然雰囲気が違いました。基本的にどの会社もオンライン面接をしていて、画面が映った瞬間、ちょっと圧倒されるような、暗い雰囲気が多かったんです。しかし富士化学工業はオンライン面接でも、すごくなごやかで。こちらをリラックスさせようとしている雰囲気が伝わって。仕事内容としても、品質管理で医薬品業界の根幹を支えられることに魅力を感じ、入社を決めました」


入社後は、品質管理部門品質に関する試験を担当している。職場の雰囲気に惹かれて入社した小林さんだったが、その働きやすさは想像以上だったという。

「入社前、『富山の人たちは身内にはすごくやさしくするけど、はじめのうちはよそよそしいかも』と聞いてちょっぴり不安だったのですが、全くそんなことがなくて。むしろ気さくにぐいぐい話しかけてくれたんです。

仕事においても、皆さんやさしくて、私が困っている様子をみたら、すぐ声をかけてくれます。教育に対しても、本来は研修が済んだ段階で独り立ちするのですが、『はじめは不安だよね』とついていてくれて。未経験だけれども、仕事の不安はありません。むしろ甘えすぎないようにしないとなと注意しています(笑)」

 


育児で休むのは、当たり前

 

富士化学工業の大きな魅力である働きやすさ。女性として、どう考えているのか聞いてみた。

「私の部署でも、男女問わず育休を取得しています。もちろん文句を言う人はいませんし、むしろ取らない人がいたら大丈夫かなと心配されます。当日に急な体調不良でお休みしても、支え合う雰囲気がありますね」

昼食においては、社内で自ら選んで注文する弁当を利用しているという。会社の周りに飲食店はなく、自分で持ってくるか、社内で頼むかの大きく2つ。値段は500円以下と、お財布にもやさしい。

「お弁当にはお魚も良く入っていて、とてもおいしいんです。たまに頼み忘れたときは、自動販売機でパンを購入しています」

早めにお弁当を食べ終わったときは、休憩時間を利用してすぐそばにある西田美術館に行くこともあるという。

「社員は無料で入館できると聞いて、企画展があるたびに2~3回通っていますね。雰囲気もとても素敵なんですよ。しかも西田美術館がきっかけで、会社内に友人ができたんです」

地域の人々に開かれた西田美術館は、社員にとっても交流の場となっているようだ。

 


のどかな暮らしがしたい人におすすめ

 

都会で生まれ育った小林さんにとって、自然に囲まれた暮らしは理想だったという。休日は、スーパーに行く途中、川の土手で鼻歌を歌いながら、散歩。おおかみ子どもの雨と雪のモデルとなった家も近くにある。「この間、家の窓の外を見たら、たぬきがいたんです」と微笑む小林さんが、今の生活をとても楽しんでいるのが分かる。

一点、富山育ちのインタビュアーである筆者が、心配になる点があった。それは「車がなくても暮らせること」という転職の条件。一家一台ならぬ、一人一台が当たり前な富山県において、車なしでの生活はどうなのか、聞いてみた。

「不便かといえば不便ですが、私にとっては耐えられないレベルではありません。通勤もスーパーも駅も、徒歩30分圏内で家を借りました。たしかに遠いですが、とてものどかで景色が良いので、お散歩気分で歩いていますね。たまに会社の人が乗せてくれることもあります(笑)。買い物についても通販があるので、暮らしていけないほどの不便さは感じていません」

とはいえ、入社してからまだ富山の雪は経験していない。雪の季節を乗り越えられるかどうかは少し不安だと語る。だが、「運転慣れしていないから、雪道の運転はなおさら不安」と語る小林さんにとっては、車もリスクがあるのが事実。小林さんのように、駅やスーパー、そして会社どの場所も徒歩圏内の物件に暮らすのが、富山で車がなくても暮らす賢い選択肢かもしれない。

「都会のごみごみした感じが苦手で、自然の中で暮らしてみたい人にはとてもおすすめですね。朝起きたときに、静寂の中で鳥の声が聞こえるのが、とても気持ちいいです。山も海もあるし、食事もとてもおいしいです。まあ、車の運転はできたほうがいいかもしれませんね(笑)」

入社1年目の小林さん。今後のキャリアについても、夢を膨らませている。

「今は目の前の試験で精一杯ですが、いろいろ学んで、いずれは品質保証のQA分野でリードできる存在になりたいですね。目の前ですぐ結果を出すことを求められるのではなく、腰を据えて成長できる環境を用意してくださっているのがとてもありがたいです。まずは目の前の仕事をしっかりと積み重ねて、自分らしいキャリアを築いていきたいですね」