富山県の基幹産業
奥田は26歳の時にジャパンメディックに中途で入社した転職組だ。
前職はリース会社で営業職として働いており、名古屋、三重で業務に邁進していた。
「転勤が多い会社だった。2~3年で他の地域への転勤がある。転勤は楽しかったが将来結婚して家庭を持つ事をイメージした時に長く続けることは困難だと判断した。それと、人と人のキズナを感じる仕事がしたいという思いがあり転職することを決意した。」
さらにその中でジャパンメディックを選んだ理由として「ものづくりの会社で働きたいという思いがあった。自分が富山の大学に通っていたこともあり富山に愛着があったので、その中で企業を探した。せっかくなら富山の基幹産業である製薬会社で働きたいという思いが芽生え、そこでジャパンメディックが社員募集を行っていたので応募した」と話す。

新卒で入社した荒木は「私は新潟の燕市出身で富山大学理学部化学科を卒業しジャパンメディックに入社しました」と話す。
地元新潟ではなく富山で就職を決めた理由を聞くと「私の学部の友達がほとんど製薬会社の品質管理職で就職活動をしていたので私もその流れで。また、私の出身である燕市は金属加工が基幹産業として盛んなのですが、私が大学で学んだことが十分に発揮できないと思ったので、富山の製薬会社で就職することに決めました。」

同じく新卒入社の松澤は「私は性格上、同じことをやり続けることが苦手で様々なことにチャレンジできる会社をしていました。そんな中でジャパンメディックを見つけ応募しました。最初に内定を頂いた会社であり縁を感じたので入社することに決めました。」

仙道は「私は福岡県出身なのですが、高校のころから漢方に興味があり製薬メーカーで働きたいという思いがあり、富山大学薬学部に進学しました。そのまま卒業後ジャパンメディックに入社しました。」

トライ&チャレンジ
奥田の一番思い出に残っているエピソードは「お客様からお叱りを受けたことです。」と話す。
「まだ20代の頃、お客様から納期短縮の依頼があり、現状の生産体制では対応しきれないと判断し「無理です」とお断りした所、烈火のごとくお叱りを受けました。」
その後、製造や品質管理の部署に協力を仰ぎ創意工夫で品質を確保した上での納期短縮に成功し客様の要望に応えた奥田は、「今振り返れば、できる可能性を考えず「無理です」と言ったことが良くなかった。」と話す。
「失敗のおかげで様々なことを学び経験できた。その経験から後輩にもストレッチを効かせた目標を与えやらせてみるのが私の指導スタイルです。失敗体験から学ぶことは沢山あるので部下や後輩には失敗を恐れず難しいことにチャレンジし続けてもらいたいです。」
「もちろん、チャレンジに対するフォローや最終責任は管理職である自分にあることを部下に伝え、心理的安全性を確保した上でチャレンジさせています。」
奥田は自分の失敗を教訓に、部下にも失敗から学ぶ事で成長して欲しいという信念のもと人材育成を実施している。
企画開発の松澤は「自分で作ったものをメーカー様に提案し採用された時が最高にうれしいです。」と話す。
「実は先月に私が携わった商品が初めてドラックストアの店頭に並んだのです」と誇らしげに話をしてくれた。

「商品開発をする上で心がけていることは商品を使っていただく消費者様の目線に立って企画すること、メーカー様に採用して頂きやすい価格に設定することの2点が主です。本来、これは営業が考える領域ですが、ジャパンメディックでは部署の垣根を超えチームで協力し目標を実現しようという社風があります。実際、私が書いた企画書を何度も社長の所に持っていき、直接アドバイスをもらっていた事もありました。こうした風通しのよい環境や、自分が作りたいものを自由に作らせてもらえる環境が気に入っています。」
「お客様のためになる付加価値の高いシンプルなものを世の中に届けたい」そう語る松澤の眼差しはジャパンメディック企画開発エースとしての自覚と覚悟に満ち溢れていた。
社内チームワークと考動力
新卒入社の仙道は「ジャパンメディックは入社して数カ月間の研修期間があります。
座学はもちろんのこと、実際の製造現場での研修も実施します。
この製造現場での研修が今の仕事に大変役に立っています」と話す。

どう役に立っているかを尋ねると「私は企画開発の仕事を行っているのですが、製品が出来上がるまでの工程をリアルで体感することができたことにより、製品案件を考える際に、コスト面や自社の製造体制でどこまで出来るかを考えて提案できるようになりました。
また、製造の社員の方々とコミュニケーションをはかれたことで、社内での協力体制がスムーズになったと感じております」と話す。
また、ジャパンメディックでは経営計画や毎月の業績を社員に開示する“ガラス張りの経営”を実践している。
これはジャパンメディックの行動指針の1つである“考動力”を後押ししている。
経営情報を開示することで会社の現状と目指す姿を知ることができるので、今自分が何をしなければいけないかを考え行動する社員が増えてきているとのことだ。
さらに、従来の年功型の人事制度を見直し新卒・中途関係なく、実績や能力で評価し、活躍した人がしっかりと報われる制度を確立している。
女性の働き方について
二人のお子様の子育てをしながらグループ長とし責任ある仕事を担っている荒木は「私はジャパンメディックに入社してから2度の産休・育休を経験しています。産休から復帰した後は子どもがインフルエンザにかかり1週間会社を休まなければいけなくなったり、正直大変でした。
今でも子供の事情で急に休まざるを得ない事があるのですが、会社としてお互いにフォローし合えるような職場環境が整っていますので安心して働けます。
また、有給休暇も取得しやすく女性にとって働きやすい環境だと感じております」とのことだ。
お互いにフォローしあえる環境は、業務内容をマニュアル化、手順化することで業務を平準化し、特定の社員しかできない業務というものをなくしていく取り組みの賜物だ。
ジャパンメディックには現在女性管理職が2名いる。
今後も男女関係なく管理職になりたい人、なれる力がある人を登用し「健康・夢提案企業」として成長し続けていく。
富山県での暮らし
大学で愛知県に進学していた松澤は「若い人が遊ぶ所が少ないですね。あとクルマがないと生活できない」と話す。
福岡県出身の仙道は「雪がこんなに大変とは知らなかった、2021年の1月には1mクラスの雪が富山市内でも降り全国ニュースでも放送された。福岡では降っても数センチなのでビックリしました」と話す。

奥田は「ありきたりかもしれませんが、自然が豊かで空気がおいしい。やはり圧巻なのは3,000m級の立山連峰を日常生活の中で見ることが出来る事ですね。あとは地場の回転ずしが美味しすぎる。」と良い面を話してくれた。
荒木は「クルマがないと生活できないのは確かです。ただ、子育て世代は逆にそれがすごく便利。クルマにさえ子供を入れてしまえば何とかなるので。公共機関での移動が主となる都会の子育ては大変そうな気がします。また、富山は共働き世帯が多いので学校のPTAなどはそういったことに配慮してくれています。例えば開始時間が日中ではなく仕事終わりの夕方6時スタートなど。また、食べ物がおいしいですね。私の故郷、新潟に勝るとも劣らないくらいお米が美味しいです。」と話しをしてくれた。
ジャパンメディックが近年着実に成長を遂げている秘密は会社の企業理念である“Step by Step”と使命である“健康・夢提案企業”これを実現するための行動指針トライ&チャレンジ、社内外チームワークなどが一人一人の社員に浸透しているからだろう。
また、そういった環境を創ることに社長はじめ経営陣が本気で取り組んでいるということが今回のインタビューを終えての感想だ。
※取材中はマスクを外してお話していただきました。